「白銀の墟 玄の月(四)十二国記」 小野不由美

 だいぶ前に読み終わっていたのですが、どうも上手くまとめられずに時が過ぎてしまいました。
 今もまだ自分の中で上手くまとまっていませんが、このままだと書かず仕舞いになってしまいそうなので、とりあえず記録のつもりで書いておくことにします。

※ネタバレありなので要注意でお願いします。

 というわけで、ついに最終巻ですが。
 第三巻ラストの「驍宗生きてた! やった~!」から始まる上向きの流れ――人材も物資も集まって来た! 第一巻から続いたみんなの苦労がやっと報われる! これなら阿選に勝てる!――からの突き落としっぷりが鬼畜。
 このまま順風満帆、破竹の快進撃とは行かないだろうなとは思っていたけれど、まさかここまで叩きのめされることになるとは。

 いや、もうね、ここまでずっと苦労を共にしてきた仲間たちが次々に、驚くほど呆気なく死んでしまうのです。
 李斎たちのような軍人ならまだしも、そうじゃない人が戦闘に巻き込まれて落命するのはねえ……
 あの人(さすがに固有名詞は伏せます)を死なせるとか、小野先生は鬼だと思いました。
 更に哀しいのは、亡くなったことがはっきりしている人はまだマシだということ。戦乱のただなかで何があったのか描かれないまま、ただ消息不明になった人も多くいました。

 ただ、この壊滅的な状況があったからこそ、泰麒の決意が際立ったのも確かだと思います。
 おどおどしてばかりだった小さな麒麟、見事に型破りな麒麟に化けました。

 ラストの史書の記述は十二国記の様式美ですね。
 この壮大な物語がほんの数行にまとめられてしまっているのが淋しくもあり、これが歴史なんだなぁと感慨深く思ったり。

 さて、最後に全四巻を読んでの感想を。

 本作は行方不明の王の捜索を主軸とした、麾下たちの物語だったと感じています。
 辞書によると「麾下」とは、
  1.将軍じきじきの家来。はたもと。
  2.ある人の指揮下にあること。また、その者。
 だそうですが、本作における「麾下」は単なる上司と部下の関係から一歩進んで、部下のほうからこの人こそ我が主と思い決めたというニュアンスがあるようです。
 たとえば、李斎は驍宗の麾下だし、その李斎にも麾下がいる。そしてもちろん、阿選にも麾下がいる。皆、何があってもこの人について行くと覚悟を決めている人々です。

 麾下とは愚かなものだ、とは作中何度か出てくるフレーズ。
 事の善悪を判断するのは麾下の役割にあらず、ただ主の命を遂行するのみ、という姿勢を自嘲気味に「愚か」と言うのですが、しかしそう言いながら彼らはその愚かさに誇りを持っています。

 正直、善悪の判断を丸投げするのはいかがなものかと思いますが、それは主に対する信頼に根差したものなのです。
 それゆえ、汚い仕事をするのに麾下ではなく素行のよろしくない者を使った阿選に絶望し、見限った者も出てきたり。
 阿選こそ王に相応しいと信じてくれる麾下を信頼しきれず、魂を抜かれた傀儡ばかりを周囲に侍らせることになってしまった阿選が一番愚かだったのかもしれません。

 それから、本作を語る上で外せない存在が琅燦なわけですが。
 結局、彼女は何がしたかったのでしょう。
 王と麒麟の絆を見たかったとか天意を試すようなことを言っていたけれど、国を荒らしてまでするようなことなのか甚だ疑問です。彼女は戴の人ではないようだから戴という国がどうなろうと知ったこっちゃなかったのかな。
 でも、一方では泰麒を助ける行動もしているし、本当によくわからない。
 琅燦目線でのこの一連の反乱を読んでみたいです。

 面倒臭い人が多い印象ゆえ戴国はあまり好きではなかったので、この乱が収まれば戴の話はもういいやと思っていましたが、白圭宮に皆が戻ってからの話も読みたくなりました。短編でいいので。
 あと、読みたいのは範の話。氾王と氾麟の出会いの物語を読んでみたいです。

 以上、18年ぶり(私が待ったのはたぶん15年くらいだけど)の十二国記は、もやもやした部分も残るけれど、そのもやもやも含めてとても面白かったです。
 なんと言うかこう「ああ、十二国記を読んでいる……!」という充足感がありました。

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