多くの方がご存じのことと思いますが、本作はカラテカの矢部太郎さんの漫画家デビュー作にして第22回手塚治虫文化賞短編賞受賞作。
しかも、初めて描いた漫画だそうで、すごいなぁと思っていたのですが、巻末のプロフィールを見たら、お父様が絵本作家でいらっしゃるんですね。なるほど素養はあったのかと納得。
ほぼフリーハンドと思われる大変あっさりした絵柄で、矢部さんの自画像は全然似ていませんが、作中に登場した小堺一機氏がそっくりだったので(この絵柄で!)大家さんもそっくりなのではないかと思います。大家さん曰く、たれ目がかわいいらしいのですが。
一軒家の一階に独り暮らしの大家さん、二階に矢部さんという一対一の大家と店子。
その大家さんはタクシーで伊勢丹に行き、明太子をひとつ買われるような方で、挨拶は「ごきげんよう」。山の手言葉をお使いになるとても上品な奥様です。
大家さんと矢部さんの交流を描いている本作は、評判どおりの温かさでした。読めばどんな人の心も優しくなりそうです。
この雰囲気が、大家さんのとてもチャーミングな人柄の賜物というのはもちろんですが、作者の丁寧な語り口に負うところも大きいのではないかと思います。
作中、矢部さんは「大家さんへのお家賃はお手渡しになっています」と書かれていて、「お」の重なりが気になるのですが、これも大家さんに対する敬愛の念の現れに思えて微笑ましく感じました。
ゆっくりゆっくり慎重に歩く大家さんが「この年齢になるともう転べないの」とおっしゃったのが、何だか心に沁みまして。
87歳という高齢になると誰もがそうなのかもしれませんが、老いることに対してなんと自覚的なのかと。
私はこの場面を読んで、矢部さんが大家さんを描き残したくなった気持ちがわかったような気がしました。
くすっと笑えてほっこりするエピソードが満載ですが、大家さんが亡くなられた今となってはどの話にも一抹の切なさを感じてしまいます。2020年の東京オリンピックが決定したときの話なんて特に……
ところで、本書は行きつけの美容室にあったのを読んだので、実は手元にありません。
でも、何度も読み返したくなりそうなので、買っちゃおうかなと思っています。
余談ですが、本作の公式サイトに載っている、
「この時間が、永遠のように思えてくる。」
という糸井重里氏のコメントに思わず唸りました。さすがコピーライター。
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