「鳥たちの河口」 野呂邦暢

 いずれも昭和40年代に発表された5作品が収録された短編集。
 初めて読む作家さんなこともあってとても新鮮でしたが、それ以上に文学の壁に立ちはだかられた感が凄いです。これを納得のいく読み方ができたら私の読書家レベルもアップしたんじゃないかと思うのですが、現実は厳しいです。
 読んだけど読めてない、とでも言いましょうか……とりあえず、感想を書きます。

 まずは表題作の「鳥たちの河口」。
 この作品は「男はうつむいて歩いた」という書き出しで「あ」となりました。「あ、なんかすごい」と。

 男はうつむいて歩いた。
 空は暗い。
 河口の湿地帯はまだ夜である。枯葦にたまった梅雨が男の下半身を濡らす。地面はゆるやかな上り勾配をおびて地下水門のある小丘へつづく。

 この書き出し、私には男の靴のつま先が見えました。
 そして、今が夜であることが提示され、続いて場所が提示される。
 短い文章が小気味よくぽん、ぽん、ぽん、と連なって視点が変わっていくのが映画のオープニングのカメラワークのようでかっこいいなぁと思ったのです。映画あんまり見ないけど。

 物語は野鳥観察をする男の記録。
 野鳥を観察する男は同時に観察場所である干潟も観察していて、変わりゆく土地を思い、来るはずのない渡り鳥の飛来に不安を覚える。
 その不安は男自身の境遇と通ずるものがあって、何と言うか、全体的にとても暗い、昭和枯れすすき的なイメージだなと。

 事態が好転しそうな要素が感じられないまま、接続詞のほとんどない短い文章に引きずられるようにするする読んでしまった感想は、私には重すぎる……でした。
 展開が重かったのではなく、お前はこの話をどう受け取る? と試されているようで。

 いや、でも、面白かったです。文章がとても視覚的で。
 妻の言葉と男の見ているものが交互に書かれることでふたりの心の距離が表現されているのには感動しました。

 あと、いつものように間抜けな感想を言うと、重油まみれの鳥を洗うのはジョイのなかった時代には大変だったろうなぁということと、ついさっきまで猛禽のいた空に傷が癒えたばかりのアジサシを放鳥するのはいかがなものか……ということです。

 残り4編はさらっと。

「四時間」
 再検査の結果が出るまでの男の四時間を描いた作品。
 これはコメディなのか……?
 オチは最初から見えていたけれど、私も去年の健康診断で「肺に影が」とか言われて半泣きで再検査を受けたので、男の気持ちは他人ごとではありませんでした。
 ただ、不安なのはわかるが待ち時間に酒を飲むのはやめろ。

「世界の終り」
 たったひとり無人島に漂着した甲板員の物語。
 島に新しく人が流れ着いたら、普通はホッとするし、心強いですよね。でも、それがめちゃくちゃ好戦的な人物だったら……
 なんだかいろいろと不条理で怖かったです。あと、ラストシーンに疑問が。疑問と言うか、語られなかった部分をどう補えばいいのかがわかりませんでした。

「ロバート」
 前3編の登場人物には固有名詞が一切ありませんでしたが、本作は固有名詞がタイトル。
 しかし、ロバート以外の名は、主人公はカタカナで一度出てくるのみ、友人に至っては「T」などのイニシャルで表記されており、その不統一さが読み手にそこはかとない不安感を抱かせます。
 退役軍人のロバートと短期間同居することになった主人公。しかし、ロバートは行動にいろいろと問題があって……
 苛立ちのあまりロバートにつらく当たってしまうも、すぐに後悔する主人公の心の動きはよくわかったのですが、ラストシーンが全然理解できませんでした。

「棕櫚の葉を風にそよがせよ」
 1編め、2編めと、どんどん私の理解が及ばなくなってきていましたが……これは本当にわからなかったです。
 主人公である田代浩一(漢字フルネーム!)の仕事とプライベートの話ですが……ううむ、これをどう受け取ったらいいのか。
 普段、怪物が出たとか人が殺されたとかいう話ばかり読んでいる私にはどうにも展開が平坦で。この平坦さをどう受け取ればいいのかわかりませんでした。平たく言うと「で?」としか……
 タイトルはカッコいいのに、私の理解が及ばず申し訳ない。

 小気味よい文体は本当に素晴らしくて好きですが、やはり文学ってやつは私には荷が重すぎるようです。

この記事へのコメント